– CIPL年次報告(2022) PDF769KB
– CIPL年次報告(2021) PDF562KB
– CIPL年次報告(2020) PDF713KB
– CIPL年次報告(2015) PDF735KB
– CIPL年次報告(2014) PDF791KB
CIPLについて
CIPLはComite’ International Permanant des Linguistes/Permanent International Committee of Linguists(国際言語学者常任委員会)の略で、1928年に設立された世界の言語学会の連合組織である。現在34か国(46団体)のメンバーがいる。その主な仕事は5年に一度の世界言語学者会議(CIL/ICL:Congress International des Linguistes/International Congress of Linguists、以下CIL)の開催とBL/LB(Bibliographie Linguistique/Linguistic Bibliography、以下LB)の編集である。ほかにもUNESCOとの協賛で、危機言語研究領域で業績のあった個人・団体の表彰を行っている。
CIPLはGA(General Assembly:参加団体から一人ずつ)とEC(Executive Committee:会長、副会長、事務局長、5人の常任理事)からなり、おもな決定はECでなされる。ECはCILのための専門委員会のメンバーの決定、新規メンバーの審査などを行う。
CIPLの活動、GAメンバーの団体名とその代表、新しく選出されたECのメンバーについてはCIPLのホームページ(https://ciplnet.com/)を見られたい。
日本言語学会のCIPLへの加盟の正確な年度は不明である。CIPL分担金の支払いは1970年が記録としては最初である(彙報56号)が、第7回のLondonの会議(1952年)のGAへの代表として英国Cambridge滞在中の亀井孝氏の派遣が記録にあるので、それ以前に加盟しているのは間違いない(彙報22-23号)。CIPLの日本言語学会の代表は、第14回までは選挙で決められており、学会の費用で派遣されていたようであるが、学会の予算がひっ迫してきたため、第15回のCILは学術会議で旅費を負担してもらえる可能性がある代表として柴田武氏が選ばれている(彙報101)。また、下宮氏から長嶋氏への交替は会長指名としてなされており、以後選挙は行われていない。Pragueでも次のSeoulでも長嶋氏の旅費はご自分で負担されている。以後田窪、梶氏まで旅費は自分で負担した。代表は連絡委員を兼ね任期は5年であった。田窪氏はECメンバーに選ばれたため10年務めた。田窪氏の最初の任期までは連絡委員がBLの編集とCIPL代表を兼ねたが、それ以後はBLの編集は言語学会の仕事となりCIPL代表はCIPLの連絡委員としての役割を行っている。
歴代の代表(及び連絡委員)は以下の通りである(敬称略)。
第7回London 亀井孝(1952)
第8回Oslo 泉井久之助(1957)
第9回米国Cambridge小林英夫氏(1962)
第10回Bucarest泉井久之助(1967)
第11回Bologna野上素一氏(1972) 彙報22-23 彙報61
第12回 Wien 服部四郎(1977)
第13回 東京 國廣哲彌(1982)
第14回 Berlin 松本克己(1987)彙報91
第15回 Quebec 柴田武(1992)彙報101
第16回 Paris 下宮忠雄(1997)彙報112
第17回 Prague 長嶋善郎(代理)(2003)彙報124
第18回 Seoul 長嶋善郎(2008)
第19回 Geneva 田窪行則 (2013)
第20回 Cape Town 梶茂樹(代理)(2018)
<もっと知りたい方へ>
CIPLの連絡委員は5年で、代表として派遣されてからCIPLの連絡委員となり、5年間LBの編集作業を行うという形であったようだが、これが彙報に最初に記録されるのは下宮氏と長嶋氏の交替の際の記述(彙報124)で、それまでは明示的な形では記録されていない。また、LBの編集担当ののちCIPLの連絡委員、GAの言語学会代表となるのか、反対に代表派遣されてからLBの編集をしていたのかも不明である。野上氏の時は野上氏が代表としてCILに出席されているが、服部氏は執行委員と呼ばれている。これがLBの編集担当なのかCIPLの連絡委員なのかはわからない。CILの代表派遣が選挙で行われていたところをみるとLBの編集担当とは独立していた可能性もある。下宮氏は「CILの代表は5年間雑巾がけをやってから得られる栄誉である」と言っていたので、下宮氏の時はまずLBの編集作業をやってからGAに代表として参加していたと思われる。
また、CIPLの委員の任期は5年でGAから次のGAまでであるので、CIPLの立場からはおそらく、歴代の代表はすべて代理として出席されていたと理解される。これが明示的になるのは長嶋氏の時で、氏はPragueのCILへの出席後CIPLの委員を5年間しかやられていないと記憶するので、Pragueへは代理出席である。田窪氏の場合はソウルでのGAには長嶋氏が出席し、5年間CIPLの連絡委(CIPLの呼び方だとGAのメンバー)、BLの編集担当を行ってからGenevaのGAに出席した。その際にECのメンバーとして選出されたためそのまま連絡委員も兼ねることになった。これはCIPLの規約としてECのメンバーはGAのメンバーでなければならないからである。そのため梶会長の指名として5年後の連絡委員を町田健氏に依頼し、BLの編集にあたってもらった。しかし町田氏が任期途中でBLの編集作業ができなくなったため、窪薗会長の時に、BLの編集を言語学会として行うこととし、平子達也氏が担当して現在に至っている。それまではCIPLの連絡委員とBLの編集担当は同一が担当していた。この経緯からすると田窪氏の任期は今回のCape Townの会議までで、梶氏は、今回(第20回会議)は田窪氏の代理出席で次回21回会議に出席してから任期が終わることになる。
(2018.7.25.)