・今野弘章氏
「イ落ち:形と意味のインターフェイスの観点から」『言語研究』141号(2012年3月)
「イ落ち構文」(「寒っ」vs.「寒い」)という、一見周辺的で特殊な現象を、統語論、意味論、語用論の側面から丁寧に記述し、それを言語体系の中に位置づけることに成功している。日常的によく見られる「イ落ち現象」について、意味・統語どちらかに偏った分析ではなく、両方を含みかつ語用論的な点についても分析を行うなど、ひとつの言語現象について多面的にバランスよく考察を加えている点が高く評価できる。さまざまな非文例(「寒っ」vs.「*寒くなっ」)を挙げながら、その特徴をつまびらかにしていく論証は、言語学的分析の面白さを読者に強く感じさせるものである。
反例に対する処理の仕方(否定表現を含むように見えるイ落ち文は語彙化されている、主格表示を含むように見えるイ落ち文は形容詞の部分のみが引用成分である、など)は、必ずしも十分に証拠が示されているとは言えず、議論がやや性急に進められている感はあるものの、想定されうる反論に対しては説得力をもって議論し、自説の妥当性を効果的に主張している。
この論文は、まず分析対象とする構文の統語的特性と意味的特性をそれぞれ独立に考察し、その結果をもとに「イ落ち現象」を説明するという、非常に明快な論理と構造をもっており、堅実な分析と主張がなされていて、説得力のある論文であり、極めて高く評価できる。当該あるいは関連分野の研究において、この論文は広く引用され、今後の研究に大きな影響を与えるものと思われる。よって、この論文は日本言語学会論文賞に相応しいと判断される。